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2008年08月17日
高瀬村が昭和33年12月で歴史を閉じ、翌年から井波町と福野町に分かれたので、以来、二つの町に分かれた高瀬村が合同で高瀬忠魂碑慰霊祭を執り行ってきました。
そして平成16年10月南砺市の誕生。平成17年8月には、忠魂碑創建50周年を迎えました。
高瀬地域のみなさんは、50年の時を経て、再び力をあわせる機運を感じていらっしゃいます。
さて昨日16日午後は、
この毎年のお参りに、今年は護持会のみなさんが冊子を編集されたので、
じっくりと読ませていただきました。
市内各地に戦没者慰霊碑があり、地域の皆さんで護っていただいていますが、
78名の戦没者が奉られている高瀬忠魂碑は、完成が昭和31年6月です。
この忠魂碑建設は高瀬村最後の一大事業でした。
当時文部大臣であった松村謙三先生に揮毫をお願いされていますから、その力の入れようが分かります。
そして平成16年10月南砺市の誕生。平成17年8月には、忠魂碑創建50周年を迎えました。
高瀬地域のみなさんは、50年の時を経て、再び力をあわせる機運を感じていらっしゃいます。
さて昨日16日午後は、
この毎年のお参りに、今年は護持会のみなさんが冊子を編集されたので、
市内各地に戦没者慰霊碑があり、地域の皆さんで護っていただいていますが、
78名の戦没者が奉られている高瀬忠魂碑は、完成が昭和31年6月です。
この忠魂碑建設は高瀬村最後の一大事業でした。
当時文部大臣であった松村謙三先生に揮毫をお願いされていますから、その力の入れようが分かります。
2008年05月07日
5日は利賀村百瀬地区の春祭り。遠方の家族や親せきの皆さんも大勢で春の訪れを楽しんでいらっしゃいました。上百瀬の獅子舞。
上に乗っている獅子取りの一人は女の子。少子化なので...と残念がる方の声もありますが、男女の別なくお祭りに参加できるのはいいことですよね。
百瀬賀茂社の獅子の前で舞うのは三番叟。やはり以前は男の子の役だったそうですが今は女の子が。宮司さんにお聞きしたところ、三番叟は一般に正月の舞であるが、雪深い利賀では親族がそろう年の初めが春祭りなので、このときに披露されるんでしょう。とのことでした。
まだ残雪があちこちに点在しています。雪解けの箇所にふきのとうがありました。ほんとにようやく春が来たんですね。



まだ残雪があちこちに点在しています。雪解けの箇所にふきのとうがありました。ほんとにようやく春が来たんですね。

2008年05月06日
優雅に山宿めぐりを楽しむのも城端曳山祭の見どころ。
「山宿」というのは、5月4日の宵祭に御神像(5日の本祭りには曳山に載せられる)を飾って一般に公開する家のことで、山宿に御神像を飾ることを「飾り山」と称しています。その年の山宿にあたった家は、家の内部の改装や畳の入れ替え、調度品の買込みを行います。 宵祭当日には御神像に御神酒や赤飯を供え、豪華な屏風を立て、綺麗な生花を飾ります。
ベオさんのお店に立ち寄ったところ「祭りのしつらえ」という分厚い冊子を見せてくださいました。建築家で全国の祭りを研究している方の著作ですが、城端曳山の山宿のしつらえが詳細な図面で紹介されており、あらためて高い評価を受けている祭りなんだと思った次第です。
西上町飾り山。香りの豊かな朴の花が見事に開花していました。朝に切り取り、水を吸い上げさせて夜に開花させるには、ノウハウがあるんだと教えていただきました。
「山宿」というのは、5月4日の宵祭に御神像(5日の本祭りには曳山に載せられる)を飾って一般に公開する家のことで、山宿に御神像を飾ることを「飾り山」と称しています。その年の山宿にあたった家は、家の内部の改装や畳の入れ替え、調度品の買込みを行います。 宵祭当日には御神像に御神酒や赤飯を供え、豪華な屏風を立て、綺麗な生花を飾ります。
ベオさんのお店に立ち寄ったところ「祭りのしつらえ」という分厚い冊子を見せてくださいました。建築家で全国の祭りを研究している方の著作ですが、城端曳山の山宿のしつらえが詳細な図面で紹介されており、あらためて高い評価を受けている祭りなんだと思った次第です。

2008年05月03日
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